大正女流俳句の近代的特色

前期雑詠時代

 

 大正初期のホトトギス雑詠に於ける婦人俳句は、女らしい情緒の句が大部分であったが、大正七年頃より俄然、純客観写生にめざめ来り、幾多の女流を輩出して近代的特色ある写生句をうむに到った。実に大正初期雑詠時代は元禄以来の婦人俳句が伝統から一歩、写生へ突出した転換期である。

 

     一 近代生活思想をよめる句

 

 (1)[#「(1)」は縦中横] 近代生活をよめる句[#「近代生活をよめる句」に傍点]
 凡そ現代人ほど生活を愛し、生活に興味をもつ者は無い。昔の俳句にも接木とか麦蒔とか人事句は沢山あるが、夫等《それら》は人間を配合した季題の面白味を主としたもので、之に反し近代的な日常生活を中心におき、其真を把握する事に努力して、季感は副の感がある。

 

 

電燈に笠の紫布垂れ朝寝かな   かな女
旅にえし消息のはし猫初産   より江

 

 

 は電灯に紫の覆絹をかけて朝寝を享楽する現代人の句である。、旅宿で受取った留守宅からの消息の端に愛猫の初産を報じてきた事は、子のない作者にとってささやかな喜と感興をそそらずにはおかない。

 

 

(ハ)[#「(ハ)」は縦中横]戯曲よむ冬夜の食器つけしまま   久女
(ニ)[#「(ニ)」は縦中横]幌にふる雪明るけれ二の替   みどり

 

 

 汚れた食器は浸けたまま、戯曲を読み耽る冬夜の妻のくつろいだ心持。(ニ)[#「(ニ)」は縦中横]は近代文芸の一特色なる欧化と都会色。鋭敏な市人の感覚である。二の替を見にゆく道すがら、幌にふる明るい春雪。賑かな馬車のゆきかい。幌の中には盛装の女性が明るい得意な気分をのせて走らせている。行てには華かな芝居の色彩と享楽的な濃い幻想。これこそ華かな都会の情調の句である。

 

 

(ホ)[#「(ホ)」は縦中横]三井銀行の扉の秋風をついて出し   静廼
(ヘ)[#「(ヘ)」は縦中横]雪をおとしてドサと着きけり丸善の荷   茅花
(ト)[#「(ト)」は縦中横]初鮭や部下のアイヌの兵士より   みどり

 

 

 三井銀行の大建築の重い扉を押しあけて外へ出た刹那の感じを巧みにとらえている。(ヘ)[#「(ヘ)」は縦中横]は東京の丸善から北越の雪深い町へ或日とどいた荷物が、土間に雪をはらい落して配達されたと云う瞬間の光景を写生して、近代生活の一地方色を出している。初鮭の北海道らしい地方色。之等はいずれも事実を有るがままに切り取り来って写生した、近代生活の断片記録であり、自己観照からなる純客観句である。電灯戯曲手紙銀行人力車等も近代生活のうみ出した材料である。
 近代風俗をよめる句[#「近代風俗をよめる句」に傍点]

 

 

福引や花瓶の前の知事夫人   静廼女
雪道や降誕祭の窓明り   久女
(ハ)[#「(ハ)」は縦中横]水汲女に門坂急な避暑館   同

 

 

 、新年宴会か何ぞの光景で、大花瓶を前の知事夫人を中心に笑いさざめく福引の興。
 はクリスマスの光景で、空にはナザレの夜の如く星が輝き会堂の明りが雪道にうつりそり[#「そり」に傍点]は鈴を鳴らして通る。かかる写実は確かに昔にない異国情趣である。(ハ)[#「(ハ)」は縦中横]は山荘がかった避暑館へ傭われた水汲女が急な門坂を汗しつつ、にない登る有様と階級意識。

 

 

松の間の冬日にとまる電車かな   かな女
ストーブや棕櫚竹客の椅子にふれ   みどり

 

 

 風景にさえ西欧趣味は浸みわたっている。絨毯をしきつめた応接間。赤くもゆる暖炉。飾鉢の棕櫚竹にふれる椅子の主客とモダンな談話に打興じる。

 

 

種痘人の椅子をすべりし羽織かな   静廼
スイートピー蔓のばしたる置時計   かな女

 

 

等、椅子置時計の如き家具から草花、降誕祭、避暑の如き年中行事、種痘の如き、いずれも文化生活の背景をもった近代写生であるところに力強さがある。試みに左句を見よ。

 

 

旅駕にまむきにくるや麦埃り   多代

 

 

は広重風の街道をふりわけ荷を肩にし、或は駕で道中した頃の光景で、電車自動車と隔世の感がある。

 

 

寒き世や行燈にさす針の音   花讃女

 

 

 此句もうすぐらい行灯時代の女性の忍苦服従一方の生活を思わせる。

 

 

出代も頭巾でゆくや花の頃   園女

 

 

 元禄時代の華美な風俗を背景として味わうと、花の盛りの頃に、紫頭巾か何かでゆく出代り婢の姿さえ、何となく美しいものに感じられるが、久女の水汲女の生活にあえぐ姿は、激しい時代相を裏付けているのである。

 

 

み簾さげて誰が妻ならん舟遊び   秋色

 

 

の歌麿の美人画にでもありそうな優美さ。

 

 

名月や乗物すゆる橋の上   星布女

 

 

の風雅な昔めかしい風俗に反し、近代女流の句はもっと真実味のこもった生活相を色濃く写生している。
 (3)[#「(3)」は縦中横] 近代思想をよめる句[#「近代思想をよめる句」に傍点]
 近代女性である彼女らはまた大胆に自由に思想感情を吐露している。

 

 

乳ふくます事にのみ我春ぞゆく   静廼

 

 

 我児に乳ふくませ、家事に没頭して暮す人妻。自己にめざめ個性の成長を願う現代人の思想は、花の色はうつりにけりなと、我容色のおとろえをなげいた小町の歌より幾分理智的である。

 

 

短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎《ステツチマオカ》   静廼

 

 

 乳たらずか或はひよわ児か。火の様に乳責りなく児を、短夜の母は寝もやらで、もてあまし、はてはいっそ捨っちまおうかとさえいらいらする母の焦慮と当惑とを、須可捨焉乎という言葉で現わしているのは甘《うま》いと思う。

 

 

寒風に葱ぬく我に絃歌やめ   久女

 

 

 向うの料亭からは賑かな絃歌のさざめきが遊蕩気分を漲らしてくる。赤い灯がつく。こなたには寒風にさらされつつ葱をぬき急く女のうら淋しさ暗さ。葱ぬく我に絃歌やめよ! とは、絶えざる環境の圧迫にしいたげられる者の悲痛な叫びである。遊び楽しむ明るい群れと、苦しむ者の対比。之ぞ近代世相の二方面であろう。須可捨焉乎、絃歌やめ等、かかる幽うつ、激しさを何等の修飾なしに投げ出しているところ、近代句としても、之等は、特異な境をよめる句である。
 又、近代人は兎角興奮し易い。従って所謂女らしくない中性句、感想解放の句を見る。

 

 

風邪ぎみの働らくいやな日向ぼこ   みどり
滝見人に水魔狂ひおつ影見しか   静廼
熱の目に太りぼやけぬ鉢金魚   和香女
人憎む我目けはしき秋鏡   ※[#「王+爰」、第3水準1-88-18]女

 

 

等病的神経、憎み憤り、幻影を奔放に言い現する事は、昔の女流俳人には絶無といってよい位である。大正初期のかな女、より江、兼女、何女らの女らしい句に比しても、前期雑詠の女流達は、女らしさつつましさから一歩、自由な全自我をもて芸術に奉仕している。
 (4)[#「(4)」は縦中横] 小説的な句[#「小説的な句」に傍点]
 近代俳句の一つの傾向は、人生の断片を小説戯曲化している事である。

 

 

霜におくりて手も相ふれで別れけり   より江

 

 

 霜の夜道を互に黙々と手さえふれあわで、送り送らるる男と女。何となく燃えしぶった白けた心持で、其儘別れて始末《しま》ったという、別れる迄の小説的な事実。

 

 

カルタ切れどよき占も出ず春の宵   より江
呪ふ人はすきな人なり紅芙蓉   かな女

 

 

 春宵美しいびろど張の椅子に一人の女が、カルタの札を白い指で弄びつつ人待顔に、ひとり占をしている。ドアがあく。小間使が一通の手紙をもってはいってくる。よき占も出ず……小説的な運命の展開……。芙蓉の句。三角関係か夫婦か、兎も角も呪わしく思いこんでいる人がある。けれど逢えば好きなんだと親しみを感じる。そのすぐ下から又蛇の如くからみあう執念さ、呪、疑惑。複雑した短篇物の一シーンである。

 

 

花疲れ卓に肱なげ料理注文   みどり

 

 

 レストランか何ぞの一室、花見疲れの女が豊満な肱をテーブルに投げ出し、注文した料理を待っている。カーテンの透間から花埃がザラザラ吹きこみ、見下ろす町は灯り、電車が織る。白粉をこくぬった給仕女のしな[#「しな」に傍点]、女と男との対話等のけだるさ悩ましさが交錯した春夕の一幕物の場面とも見ゆる。

 

 

足袋つぐやノラともならず教師妻   久女

 

 

 前の句の明るく享楽的なのに比し此句はくすぶりきった田舎教師の生活を背景としている。暗い灯を吊りおろして古足袋をついでいる彼女の顔は生活にやつれ、瞳はすでに若さを失っている。過渡期のめざめた妻は、色々な悩み、矛盾に包まれつつ尚、伝統と子とを断ちきれず、ただ忍苦と諦観の道をどこ迄もふみしめてゆく。人形の家のノラともならず[#「ノラともならず」に傍点]の中七に苦悩のかげこくひそめている此句は、婦人問題や色々のテーマをもつ社会劇の縮図である。乳責りなく児、葱ぬく我、足袋つぐ妻の句は作者の境遇がうみ出した生活の為めの作句である。世紀末の幽うつ、悩ましさ逃れがたい運命観をさえ裏付けているが、同じ生活境遇のうみ出した句でも、二の替、カルタ、花疲れ等の句は、近代生活の明るさ華やかさ気分等を取扱って、明らかに思想生活の明暗二方面を描き出している。

 

 

お手打の夫婦なりしを衣更   蕪村
あるほどの伊達しつくして紙衣かな   園女

 

 

など、昔の戯曲的な中にも太平のゆとりある句に比較して、著しい時代の差異を見る。切迫強烈深刻は近代のものである。

 

     二 近代写生の特色

 

 (1)[#「(1)」は縦中横] 複雑繊細な写生句[#「複雑繊細な写生句」に傍点]
 写生の進歩は次第に複雑繊細。写生それ自身に価値をおく様な句が殖えてきた。事物の真の実在を凝視し、力づよく明確に写す事に努力し、従って余韻とかゆとりに乏しい。

 

 

うすものかけし屏風に透きて歌麿絵   みどり
枯柳に来し鳥吹かれ飛びにけり   久女
(ハ)[#「(ハ)」は縦中横]せり上げの菊人形やゆらぎつつ   妙子

 

 

 、屏風に打かけた薄物をすけて歌麿の美人画がまざまざと美しく透き見ゆる、という蕉園の絵にでもありそうな光景を目に見る如く写生している。、鳥が飛んできて、枯柳に止った。風が吹く。柳と共に吹かれていた鳥は軈《やが》てとび去ったという、一羽の鳥の動作を客観的に叙して、秋夕の身にしむ淋しさを主観ぬきで叙している。(ハ)[#「(ハ)」は縦中横]は舞台にせりあげてくる菊人形を、ゆらぎつつ[#「ゆらぎつつ」に傍点]の五字で面白く写生している。
 取扱いの近代化と散文的傾向[#「取扱いの近代化と散文的傾向」に傍点]

 

 

炭どんかえして餅やく子らの時雨宿[#「子らの時雨宿」に傍点]   あふひ
除夜の鐘襷かけたる背後より   静廼
三味ひくや秋夜の壁によりかかり[#「よりかかり」に傍点]   みどり

 

 

 之等は材料は有きたりの物乍ら、取扱い描出が嶄新である。時雨の季感は従であって、此句の主眼は餅をやいてる子供らなのである。襷がけでせっせっ[#「っ」に「(ママ)」の注記]と働いている背から除夜の鐘がなるといい、壁によりかかって三味をひく女の姿を中心に描き、瞬間的動の自由な手法を用いている。かく清新な写生、取扱いを重要視した結果、次第に季感のうすい内容、形の散文的傾向さえうまれて来た。

 

 

番傘さして来し郵便夫梅雨の宿   かな女
何時となしに木の実みなすて町近し   和香女

 

 

 写生の為の写生句[#「写生の為の写生句」に傍点]。実在の真を習作的に詠んだ詠句も多い。

 

 

花びらに深く虫沈め冬のばら   みさ子
蔓おこせばむかごこぼれゐし湿り土   久女

 

 

 (3)[#「(3)」は縦中横] 動物写生[#「動物写生」に傍点]
 動物写生にも近代元禄天明の差異を見る。

 

 

蝶々のかすませにくる広野かな   花讃
縁に出す芋のせいろや蝶々くる   かな女
花大根に蝶漆黒の翅あげて   久女
病蝶[#「病蝶」に傍点]や石に翅をまつ平ら   同
凍蝶[#「凍蝶」に傍点]や桜の霜を身の終り   星布
秋蝶[#「秋蝶」に傍点]や漆黒うすれ檜葉にとぶ   みさ子

 

 

 花讃の句は蝶を点出して広野の長閑さを主観的によみ、かな女のは大正初期の句で之も芋のせい籠にくる蝶の長閑さを主としている。所が花大根の句に到ると、ただ純白の花の上に今し漆黒な蝶が翅をあげてとまった、その動中の一ポイントを捉まえ、一瞬間の姿を活動的に描いた点が新らしい写生句である。次の凍蝶と病蝶とを対比するに凍て蝶が散りしく葉桜の霜に横わっている光景よりも桜の霜を身の終りとして凍ったという作者の蝶をいたむ主観が勝っている。一方のは石上に翅を平らにして、もはや飛ぶ力もない病蝶をじっと凝視している。病蝶に対する何らの主観も読まず、只目に映じる色彩、形、実在の真を明確に描写せんと努力するのみである。秋蝶の句は漆黒にうすれた秋蝶の性質を写す。

 

 

灯取虫うづまくと見し目に花一輪   あふひ
灯におぢて鳴かず広葉の虫の髭   せん女
盃をとりやる中や灯取虫   多代女
月代や時雨の中の虫の声   千代女

 

 

 灯取虫が灯の周囲をめまぐるしく渦巻くよと見ている目に、赤い花一輪が映ったという瞬間的写生で、中七字に近代的特色を見る。動かぬ広葉の虫の髭に目をとめる写生句。之を、灯取虫に盃のやりとりを配し、時雨の中の虫時雨を月代に配せる昔の情景句に比して近代句は動的であり精緻をきわめている。

 

 

葡萄粒をわたりくねれる毛虫かな   あふひ
怒り蛇の身ほそく立ちし赤さかな   同
白豚や秋日にすいて耳血色   久女

 

 

 美しい葡萄粒を這いくねる毛虫。鎌首をあげ身細く怒り立つ蛇の赤さ、秋日にすきとおる白豚の耳の真紅色。従来醜しと怖れられ、厭われた動物をも凝視し忠実にそのものの特質、詩美を見出そうとつとめている。
 (4)[#「(4)」は縦中横] 静物写生[#「静物写生」に傍点]
 一個の林檎なり花なりの色彩形襞陰影等、事物の真に感興をもって、繊細如実に描出するのが前期時代静物写生である。

 

 

いたゞきにぼやけし実やな枯芙蓉   みさ子
大輪のあと莟なし冬のばら   同
白萩のこま/\こぼれつくしけり   せん女

 

 

 枯芙蓉のいただきがぼやけている実。冬ばらの大輪が咲いたあとに莟もない事を見出し、白萩のこまこまと散りしいた有様、之らは久しく花なり実なりを忠実に観察し初めて読み出でた句であって、他に何らの景物もなく一本の枯芙蓉、大輪の冬ばら、それぞれの性質を描き分けている。

 

 

水嵩に車はげしや藤の花   多代女
うきことに馴れて雪間の嫁菜かな   すて女

 

 

 多代女は、水嵩に水車が激しくめぐっている山川らしい風景。すて女は女性の苦労にたゆる辛棒づよさを雪間の嫁菜にふくませてよみ、藤、嫁菜は一幅の景なり、一句の主観を表現する一つの手段として取扱われている所、大正写生と異る。

 

 

茸城や連り走る茸の傘   操女
松茸や地をかぎ歩く寺の犬   星布
初茸の香にふり出す小雨かな   智月

 

 

 元禄の句、初茸は目にうつり来ず、小雨のふり出した茸山の感じをよみ、天明のは、地をかぎ歩るく寺の犬をつれ出して、茸狩の光景を描写し、大正の操女は、連り走る如く大小の茸が傘をならべてむれ生えている茸城を目に見る如く印象的に写生して、俳画の如き面白味を見せている。
 (5)[#「(5)」は縦中横] 人体の部分写生[#「人体の部分写生」に傍点]
 レオナルド・ダ・ヴィンチの名画、モナリザの永遠の謎の微笑を、唇、額、目という風に部分的にひきのばし研究した写真をかつて私は見た。その部分部分は美の極致をつくし、その綜合した顔面は何人も模倣し能わぬ千古の謎のほほえみを形成するのであった。
 大正女流俳句も亦、人体の部分写生をしている。而もこれを綜合して永遠の謎の微笑の美しさをのこすや否やは未知数に属するが、かかる人体の部分的写生は昔に見ない所である。

 

 

桜餅ふくみえくぼや話しあく   みさ子
夏瘠や粧り濃すぎし引眉毛   和香女
夏瘠や頬もいろどらず束ね髪   久女

 

 

 桜餅をふくみ靨《えくぼ》を頬にきざむあどけなさ。一句の中心は季題の桜餅ではなくてえくぼである。次に引眉毛の濃い粧りは夏やせの顔をややけわしく見せ、頬も色彩らぬつかね髪の年増女。之等の句ただ顔面のみを極力描き出している。

 

 

笑みとけて寒紅つきし前歯かな   久女
鬢かくや春眠さめし眉重く   同

 

 

 寒紅の句は女性の美しい笑というものを取扱ったもので、笑みとけた朱唇と寒紅のついた美しい歯とが描かれてある。

 

 

元ゆいかたき冬夜の髪に寝たりけり   みさ子
芥子まくや風にかわきし洗ひ髪   久女

 

 

等大正女流は髪そのものを主に詠出で、

 

 

涼しさや髪ゆひなほす朝機嫌   りん女
日当りや白髪けづる菊の花   星布

 

 

 古の女流は、涼しさ、菊の日向の季感を濃く詠じている。

 

 

ゆきあへばもつるる足や土手吹雪   和歌女

 

 

 (6)[#「(6)」は縦中横] 婦人の姿態をよめる句[#「婦人の姿態をよめる句」に傍点]
 大正女流はその姿態を大胆に描出し、自己表現の写生句を試みている。

 

 

ぬかるみやうつむきとりし春着褄   和歌女
病み心地の母とよりそひ林檎むく   みさ子
紫陽花きるや袂くわへて起しつつ   久女
睡蓮や鬢に手あてて水鏡   同
白足袋や帯のかたさにこゞみはく   みどり

 

 

 病み心地の母により添い林檎をむく乙女心或は春着の褄をとり、或は水鏡し、金繍の帯のかたさにこごみつつ足袋をはく姿。紫陽花の重いまりを起しつつきらんとする女。かかる姿態のさまざまをよめる句も、繊細な写生練習の一つの方法であった。又動作を如実によめる句は、

 

 

手にうけて盆提灯をたゝみけり   みさ子
片足づついざり草とる萩の前   汀女

 

 

 (7)[#「(7)」は縦中横] 婦人に関した材料をよめる句[#「婦人に関した材料をよめる句」に傍点]
 婦人にとって一番親しみぶかい着物の句は古今共頗る多い。元禄の園女は、中将姫の蓮のまんだらを見て、みずから織らぬ更衣を罪ふかしと感じ、或は衣更てはや膝に酒をこぼしけりと佗びしがり、時には汗や埃に汚れた旅衣を花の前に恥かしく思うと詠み、千代女は、「我裾の鳥もあそぶやきそはじめ」と我着物に愛着を感じ、玉藻集には

 

 

風流やうらに絵をかく衣更   久女(大阪)

 

 

と風流がり、或は「風ながら衣にそめたき柳かな 芳樹」など伝統的な感じを女らしくよみ出ている。さて大正女流は、

 

 

くずれ座す汝がまわりの春の帯   なみ女
花衣ずりおちたまる柱かな   和香女
花衣ぬぐやまつはる紐いろ/\   久女

 

 

 春帯をときすてて崩れる如く座っている女と、その周囲の帯との色彩を写生し、柱にぬぎかけた花衣が、衣のおもみにずりおちて柱のもとにたくなっている妖艶さ。花見から戻ってきた女が、花衣を一枚一枚はぎおとす時、腰にしめている色々の紐が、ぬぐ衣にまつわりつくのを小うるさい様な、又花を見てきた甘い疲れぎみもあって、その動作の印象と、複雑な色彩美を耽美的に大胆に言い放っている。それから婦人でなくては親しめぬ材料の簪櫛指輪などの句。

 

 

ざら/\と櫛にありけり花埃   みどり
稲刈るや刈株にうく花簪   菊女
春泥に光り沈みし簪かな   かな女
簪のみさしかえて髪や夜桜に   みさ子
茄子もぐや日をてりかへす櫛の峰   久女

 

 

 一枚の櫛にざらざらうく花ぼこり。春泥にきらりとぬけおちて光り沈む銀簪。夜桜見にゆく乙女の簪。稲刈る女の花簪が刈株にういて引かかっている光景。いずれも女でなくては。

 

 

簪よ櫛よさて世はあつい事   花讃女
笄も櫛も昔やちり椿   羽紅女
麦秋や櫛さへもたぬ一在所   花讃女

 

 

 花讃女のとりすました悟りがましい主観の少し厭味らしき。羽紅女の剃髪した時の感慨ぶかさ。麦秋の一村落の、おおまかさに比し近代句はいずれも写実で光景を出している。

 

 

手袋ぬぐや指輪の玉のうすぐもり   静廼
ゆく春や珠いつぬけし手の指輪   久女

 

 

 (8)[#「(8)」は縦中横] 活動的描写[#「活動的描写」に傍点]
 此の時代の写生は殆どすべてが動的の写生句であるともいってよいが、

 

 

よりそへどとてもぬるるよ夕立傘   みどり
葉鶏頭のいだゞきおどる驟雨かな   久女
風あらく石鹸玉とぶ早さかな   すみ女
襟巻のとんで長しや橋の上   あふひ

 

 

の如き夕立の激しさ、風のつよさをも説明ぬきの刹那的写生で活かしている。

 

 

かるた札おどりおちけりはしご段   和香女

 

 

の如きも一枚のかるた札がはね飛ばされて梯子段を勢いよくおちてゆく瞬間の写生で有る。

 

 

打水やずんずんいくる紅の花   静廼

 

 

 (9)[#「(9)」は縦中横] 光[#「光」に傍点]、影を扱える句[#「影を扱える句」に傍点]

 

 

かはほりの灯あふつや源氏の間   諸九尼
月見にもかげほしがるや女づれ   千代女
木々の闇に月の飛石二つ三つ   汀女
蝉時雨日斑あびて掃き移る   久女

 

 

 三井寺の源氏の間の灯を蝙蝠があおつ情趣。月見にも女はかげをほしがるという千代女の主観。汀女のは木立のかげの闇に月が流れ、飛石が二つ三つ浮き上る様に見えているという印象的な句。

 

 

朝顔のかげをまきこむ簾かな   星布女
炭火にかざす手のかげありぬ灰の上   翠女
編物やまつげ目下に秋日かげ   久女

 

 

 簾を捲きあげるにつれ朝顔のかげもまきこまれるという客観描写は、炭火にかざす手の影が灰の上にあるのを写生し、まつげのかげがはっきりと印される繊細な写生とも違う。
 (10)[#「(10)」は縦中横] 時間の句[#「時間の句」に傍点]

 

 

やがてきづく菊の小雨や秋袷   みどり
新涼や月光うけて雨しばし   あふひ
いつとなく木立もる灯やくれの秋   同

 

 

 秋袷の女がいる。外には菊がさき小雨がふり出した。やがて漸く雨のふっているのに気がつく、しみじみしたいい句である。雨夜の一とき、月光をうけて雨あしが白くうき見える新涼の感じ。いつとなく木立もる灯かげにふと気づいたという、秋も末の、落葉しそめた夕寒い感じ。三句とも絶えず物事に注意ぶかい観照の目をむけ、久しく凝視していて、或時の変化刺激に初めて出来た句であって時間の経過を示している。

 

 

山茶花や二つとなりし日南猫   清女

 

 

 山茶花が咲いている。日向の縁先かなにかに一匹の猫がつくばっている。暫くして又見ると猫は二匹となっていたという、小春らしい静かな時間的変化を写生している。

 

 

紫陽花に秋冷いたる信濃かな   久女

 

 

 山国の時候の急変と時の経過をよめる句。
 (11)[#「(11)」は縦中横] 大景叙景の句[#「大景叙景の句」に傍点]
 此時代の句は、習作を主とした為めに、繊細部分的。写生の為めの写生句、単的な描写が全部であるかの如くも思えるが、大景を叙した句も少くない。而し一般的には女流は叙景叙事には男子の如き技量なく、矢はり彼女らの本領は女らしい材料、捉え所、において光っている。

 

 

遥かなる藪浪うつて驟雨かな   あふひ
高き樹の落葉たはむれて露の原   同
群雀稲にくづれて山青し   同

 

 

 之等の句は、もはや男女の区別なき写生の技で光っている。

 

 

春昼や出船のへりのうす埃   みさ子
大池のまどかなる端や菖蒲の芽   同
冬凪や小舟をつれてかゝり舟   せん女
りんだうや入船見おる小笹原   久女
塀の外へ山茶花ちりぬ冬の町   かな女
蓮さくや暁かけて月の蚊帳   より江
身かはせば色かわる鯉や秋の水   汀女
落葉山一つもえゐて秋社   みどり
大比叡に雷遠のきて行々子   春梢女

 

 

 出舟のへりのうす埃。小舟をつれてかかりおる親舟。塀外へちる山茶花のわずかな色彩。蓮池と、月の蚊帳と。男性の句に比してやはり女性らしいみつけどころを捉えている。美しくなだらかである。殊に大池の端の菖蒲の芽は、木版の風景絵の如きうるおいを見せている。古の女流中では天明の星布尼、大景叙景の客観句に富み佳句も少くない。
 (12)[#「(12)」は縦中横] 線の太い句[#「線の太い句」に傍点]
 習作としての純客観写生から一歩、主観客観合一の境地へ進むと、もはや単なる写生の為めの写生句ではない、線の太い句となるのである。

 

 

春雷や夜半灯りて父母の声   みさ子
茎漬や明日柏木に月舟忌   みどり
奥の間に句会しづかや松の内   清女
夜寒児や月に泣きつゝ長尿   静廼
時雨るゝや灯またるゝ能舞台   あふひ
父逝くや明星霜の松に尚ほ   久女
山駕にさししねむけや葛の花   せん女
玉芙蓉しぼみつくして後の月   より江

 

 

     三 境遇個性をよめる句

 

 須磨の山荘に久しい宿痾を養っているせん女氏[#「せん女氏」に傍点]には病の句が沢山ある。

 

 

病んでさへおればひまなり菊の晴れ   せん女
鈴虫や疾は疾我生きん   同
極月や何やらゆめ見病みどほし   同
病みながら松の内なるわが調度   同

 

 

 病は疾として我生きんと、生命の闘をよみ、病苦悩みの中から一切を俳句に打こみ安心境を見出すせん女氏。

 

 

よき母でありたき願ひ夜半の冬   せん女
極月や婢やさしく己が幸   同

 

 

 何らの技巧もなく、松の樹の如き性格の一面に優しさをしみ出させ、

 

 

母が手わざの葛布をそめて着たりけり   せん女
わが編みて古手袋となりにけり   同

 

 

 この二句浮華軽佻ならぬ性格を確《しっか》りと出している。せん女氏は大正女流中の年長者、墨絵の如く葛布の如き手ざわりの句風である。
 二十幾歳で早世したみさ子氏[#「みさ子氏」に傍点]は、其性白萩の如く優雅純真。足の固疾に対してもすこしの不平もなく、大正女流中唯一の年少処女俳人。

 

 

雨ふれば雨なつかしみ菊に縫ふ   みさ子
菊人形ときけど外出の心なく   同

 

 

等花のさかりの年頃を引籠りがちに、只俳句を生命として暮し、ひたすら父母をたよる乙女心から父母をよめる句頗る多く、

 

 

母に似し眉うれしけれ冬鏡   みさ子
炭ついでいつかしみ/″\と語りけり   同
木の芽雨母おうて傘まゐらせぬ   同

 

 

等、一生を父母の慈愛に生き、すなおな落付をもて、女らしいしとやかな佳句をのこしている。
 より江氏[#「より江氏」に傍点]は後期雑詠時代に一人舞台で、活躍していられる故、のちにゆずり、ただ

 

 

枯菊に尚愛憎や紅と黄と   より江
秋風にやりし子猫のたよりきく   同

 

の二句に氏のデリケートな性格、あくどい悩や執着のないさらりとした明るさを見る。

 

 

春菊にみより少き忌日かな   和香女[#「和香女」に傍点]
ひとりすむや行水の間を閂かけて   すみ女[#「すみ女」に傍点]

 

 

 共にさみしい境遇心持をあらわし、

 

 

寒菊にいぢけてをれば限りなし   みどり
草箒木どれも坊主や返り花   同

 

 

 みどり女氏[#「みどり女氏」に傍点]の明るさ、元気よさがそのまま出ているし、

 

 

願ひごとなくて手古奈の秋さみし   かな女
足まげて見て涙こらえぬ秋のくれ   同

 

 

 このかな女氏[#「かな女氏」に傍点]の句には、子のないものの或時の淋しさ。ものかたい母君にそだてられた家庭の婦人らしさ辛棒づよさが出ている。

 

 

雛ゆづる子なくて淋しかざりおる   操女[#「操女」に傍点]
雁ないてその夜に似たり松の星   翠女[#「翠女」に傍点]

 

 

 前の句は石女《うまずめ》の淋しさを、後の句は亡き子の一周忌をいたむ母の涙の句である。

 

 

さうめんや孫にあたりて舅不興   久女
貧しき群におちし心や百合に恥づ   同
貧しき家をめぐる野茨の月尊と   同

 

 

 田舎の旧家の複雑した家庭。境遇の矛盾。ノラともなりえず、ホ句に慰藉を求めては、貧しき家をめぐらす野茨の月の純真さに、すべてを忘れ、花衣の色彩の美しさにもこころひかるる、感じ易き久女。子ぼんのうの彼女は、

 

 

風邪の子や眉にのび来しひたい髪   久女

 

 

 我子への愛着のふかさをうたっている。
 境遇、個性、感情、心持の句についてはもっと詳しく記したいのであるが余り長くなるからすべてを省略する事とした。

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