序

 

 人生の大きな峠を、また一つ自分はうしろにした。十年一昔だといふ。すると自分の生れたことはもうむかしの、むかしの、むかしの、そのまた昔の事である。まだ、すべてが昨日今日のやうにばかりおもはれてゐるのに、いつのまにそんなにすぎさつてしまつたのか。一生とは、こんな短いものだらうか。これでよいのか。だが、それだからいのちは貴いのであらう。
 そこに永遠を思慕するものの寂しさがある。

 

 ふりかへつてみると、自分もたくさんの詩をかいてきた。よくかうして書きつづけてきたものだ。
 その詩が、よし、どんなものであらうと、この一すぢにつながる境涯をおもへば、まことに、まことに、それはいたづらごと[#「いたづらごと」に傍点]ではない。

 

 むかしより、ふでをもてあそぶ人多くは、花に耽りて實をそこなひ、實をこのみて風流をわする。
 これは芭蕉が感想の一つであるが、ほんとうにそのとほりだ。
 また言ふ。――花を愛すべし。實なほ喰ひつべし。
 なんといふ童心めいた慾張りの、だがまた、これほど深い實在自然の聲があらうか。
 自分にも此の頃になつて、やうやく、さうしたことが沁々と思ひあはされるやうになつた。齡の效かもしれない。

 

 藝術のない生活はたへられない。生活のない藝術もたへられない。藝術か生活か。徹底は、そのどつちかを撰ばせずにはおかない。而も自分にとつては二つながら、どちらも棄てることができない。
 これまでの自分には、そこに大きな惱みがあつた。
 それならなんぢのいま[#「いま」に傍点]はと問はれたら、どうしよう、かの道元の谿聲山色はあまりにも幽遠である。
 かうしてそれを喰べるにあたつて、大地の中からころげでた馬鈴薯をただ合掌禮拜するだけの自分である。

 

 詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。

 

 だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。

 

 詩をつくるより田を作れといふ。よい箴言である。けれど、それだけのことである。

 

 善い詩人は詩をかざらず。
 まことの農夫は田に溺れず。

 

 これは田と詩ではない。詩と田ではない。田の詩ではない。詩の田ではない。詩が田ではない。田が詩ではない。田も詩ではない。詩も田ではない。
 なんといはう。實に、田の田である。詩の詩である。

 

 ――藝術は表現であるといはれる。それはそれでいい。だが、ほんとうの藝術はそれだけではない。そこには、表現されたもの以外に何かがなくてはならない。これが大切な一事である。何か。すなはち宗教において愛や眞實の行爲に相對するところの信念で、それが何であるかは、信念の本質におけるとおなじく、はつきりとはいへない。それをある目的とか寓意とかに解されてはたいへんである。それのみが藝術をして眞に藝術たらしめるものである。
 藝術における氣禀の有無は、ひとへにそこにある。作品が全然或る敍述、表現にをはつてゐるかゐないかは徹頭徹尾、その何か[#「何か」に傍点]の上に關はる。
 その妖怪を逃がすな。
 それは、だが長い藝術道の體驗においてでなくては捕へられないものらしい。

 

 何よりもよい[#「よい」に傍点]生活のことである。寂しくともくるしくともそのよい生活を生かすためには、お互ひ、精進々々の事。
[#地から5字上げ]茨城縣イソハマにて
[#地から1字上げ]山村暮鳥

 

  春の河

 

たつぷりと
春の河は
ながれてゐるのか
ゐないのか
ういてゐる
藁くづのうごくので
それとしられる

 

  おなじく

 

春の、田舍の
大きな河をみるよろこび
そのよろこびを
ゆつたりと雲のやうに
ほがらかに
飽かずながして
それをまたよろこんでみてゐる

 

  おなじく

 

たつぷりと
春は
小さな川々まで
あふれてゐる
あふれてゐる

 

  蝶々

 

ふかい
ふかい
なんともいへず
此處はどこだらう
あ、蝶々

 

  おなじく

 

青空たかく
たかく
どこまでも、どこまでも
舞ひあがつていつた蝶々
あの二つの蝶々
あれつきり
もうかへつては來なかつたか

 

  野良道

 

こちらむけ
娘達
野良道はいいなあ
花かんざしもいいなあ
麥の穗がでそろつた
ひよいと
ふりむかれたら
まぶしいだらう
大《でつ》かい蕗つ葉をかぶつて
なんともいへずいいなあ

 

  おなじく

 

野良道で
農婦と農婦とゆきあつて
たちばなししてゐる
どつちもまけずに凸凹な顏をし
でつかい荷物を
ひとりのは南京袋
もひとりののはあかんぼ
そのうへ
天氣がすばらしくいいので
二人ともこのうへもなく幸福さうだ
げらげらわらつたりしてゐる

 

  おなじく

 

そこらに
みそさざいのやうな
口笛をふくものが
かくれてゐるよ
なあんだ
あんな遠くの桑畑に
なんだか、ちらり
見えたりかくれたりしてゐるんだ

 

  おなじく

 

ぽつかりと童子は
ほんとに花でもさいたやうだ
ねむてえだづら
雲雀《ひばり》が四方八方で
十六十七
十六十七
といつてさへづつてゐる
野良道である
なにゆつてるだあ
としよりもにつこりとして
たんぽぽなんか
こつそりとみてゐる

 

  雲

 

丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

 

  おなじく

 

おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平《いはきたひら》の方までゆくんか

 

  ある時

 

雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯《はて》のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか

 

  こども

 

山には躑躅が
さいてゐるから
おつこちるなら
そこだらうと
子どもがいつてる
かみなり
かみなり
躑躅がいいぢやないか

 

  おなじく

 

おや、こどもの聲がする
家のこどもの泣聲だよ
ほんとに
あんまり長閑《のどか》なので
どこかとほいとほい
お伽噺の國からでもつたはつてくるやうにきこえる
いい聲だよ、ほんとに

 

  おなじく

 

ぼさぼさの
生籬の上である
牡丹でもさいてゐるのかと
おもつたら
まあ、こどもが
わらつてゐたんだよう

 

  おなじく

 

千草《ちぐさ》の嘘つきさん
とうちやんの
おくちから
蝶々が
飛んでつた、なんて

 

  おなじく

 

とろとろと瞳々《めめ》
とろけかかつたその瞳々
ねむたかろ
子どもよ
さあ林檎だ、林檎だ
まつ赤な奴だぞ

 

  おなじく

 

まづしさのなかで
生ひそだつもの
すくすくと
ほんとに筍のやうだ
子どもらばかり

 

  おなじく

 

こどもよ、こどもよ
燒けたら宙に放りあげろ
たうもろこしは
風で味よくしてたべろ
風で味つけ
よく噛んでたべろ

 

  おなじく

 

まんまろく
まんまろく
どうやら西瓜ほどの大きさである
だが子どもは※[#「口+云」、第3水準1-14-87]《い》つた
お月さんは
美味《うま》さうでもねえなあ

 

  おなじく

 

こどもはいふ
たくさん頭顱《あたま》を
叩かれたから
それで
大人《おとな》は悧巧になつたんだね

 

  おなじく

 

篠竹一本つつたてて
こどもが
家のまはりを
駈けまはつてゐる
ゆふやけだ
ゆふやけだ

 

  おなじく

 

こどもが
なき、なき
かへつてきたよ
どうしたのかときいたら
風めに
ころばされたんだつて
おう、よしよし
こんどとうちやんがとつつかまへて
ひどい目にあはせてやるから

 

  馬

 

たつぷりと
水をたたへた
田んぼだ
代《しろ》かき馬がたのくろで
げんげの花をたべてゐる

 

  おなじく

 

馬が水にたつてゐる
馬が水をながめてゐる
馬の顏がうつつてゐる

 

  おなじく

 

だあれもゐない
馬が
水の匂ひを
かいでゐる

 

  ゆふがた

 

馬よ
そんなおほきななりをして
こどものやうに
からだまで
洗つてもらつてゐるんか
あ、螢だ

 

  朝顏

 

瞬間とは
かうもたふといものであらうか
一りんの朝顏よ
二日頃の月がでてゐる

 

  おなじく

 

芭蕉はともかくも
火をこしらへて
茶をいれた
それからおもひだしたやうに
かたはらのお櫃を覗いてみて
さびしくほほゑみ
その茶をざぶりぶつかけて
さらさらと
冷飯を食べた
朝顏よ
さうだつたらう
渠《かれ》には、妻も子もなかつた

 

  おなじく

 

まんづ、まんづ
この餓鬼奴《がきめ》はどうしたもんだべ
脊中で
おつかねえやうだよ
朝顏の花喰ひたがつてるだあよ

 

  驟雨

 

沼の上を
驟雨がとほる
そのずつとたかいところでは
雲雀が一つさへづつてゐる
ぐツつら
ぐツつら
馬鈴薯《じやがたらいも》が煮えたつた

 

  おなじく

 

驟雨は
ぐつしよりとぬらした
馬もうまかたも
おんなじやうに

 

  病牀の詩

 

朝である
一つ一つの水玉が
葉末葉末にひかつてゐる
こころをこめて

 

ああ、勿體なし
そのひとつびとつよ

 

  おなじく

 

よくよくみると
その瞳《め》の中には
黄金《きん》の小さな阿彌陀樣が
ちらちらうつつてゐるやうだ
玲子よ
千草よ
とうちやんと呼んでくれるか
自分は耻ぢる

 

  おなじく

 

ああ、もつたいなし
もつたいなし
けさもまた粥をいただき
朝顏の花をながめる
妻よ
生きながらへねばならぬことを
自分ははつきりとおもふ

 

  おなじく

 

ああ、もつたいなし
もつたいなし
森閑として
こぼれる松の葉
くもの巣にひつかかつた
その一つ二つよ

 

  おなじく

 

ああ、もつたいなし
かうして生きてゐることの
松風よ
まひるの月よ

 

  おなじく

 

ああ、もつたいなし
もつたいなし
蟋蟀《きりぎりす》よ
おまへまで
ねむらないで
この夜ふけを
わたしのために啼いてゐてくれるのか

 

  おなじく

 

ああ、もつたいなし
もつたいなし
かうして
寢ながらにして
月をみるとは

 

  おなじく

 

ああ、もつたいなし
もつたいなし
妻よ
びんばふだからこそ
こんないい月もみられる

 

  月

 

ほつかりと
月がでた
丘の上をのつそりのつそり
だれだらう、あるいてゐるぞ

 

  おなじく

 

脚《あし》もとも
あたまのうへも
遠い
遠い
月の夜ふけな

 

  おなじく

 

一ところ明るいのは
ぼたんであらう
さうだ
ぼたんだ
星の月夜の
夜ふけだつたな

 

  おなじく

 

靄深いから
とほいやうな
ちかいやうな
月明りだ
なんの木の花だらう

 

  おなじく

 

竹林の
ふかい夜霧だ
遠い野茨のにほひもする
どこかに
あるからだらう
月がよ

 

  おなじく

 

月の光にほけたのか
蝉が一つ
まあ、まあ
この松の梢は
花盛りのやうだ

 

  おなじく

 

こしまき一つで
だきかかへられて
ごろんと
大《でつ》かい西瓜はうれしかろ
その手もとが
ことさらに
月で明るいやう

 

  おなじく

 

月の夜をしよんぼりと
影のはうが
どうみても
ほんものである

 

  おなじく

 

漁師三人
三體佛
海にむかつてたつてゐる
なにか
はなしてゐるやうだが
あんまりほのかな月なので
ききとれない

 

  おなじく

 

くれがたの庭掃除
それがすむのをまつてゐたのか
すぐうしろに
月は音もなく
のつそりとでてゐた

 

  西瓜の詩

 

農家のまひるは
ひつそりと
西瓜のるすばんだ
大《でつ》かい奴がごろんと一つ
座敷のまんなかにころがつてゐる
おい、泥棒がへえるぞ
わたしが西瓜だつたら
どうして噴出さずにゐられたらう

 

  おなじく

 

座敷のまんなかに
西瓜が一つ
畑のつもりで
ころがつてる

 

びんばふだと※[#「口+云」、第3水準1-14-87]《い》ふか

 

  おなじく

 

かうして一しよに
裸體《まるはだか》でごろごろ
ねころがつたりしてゐると
おまへもまた
家族のひとりだ
西瓜よ
なんとか言つたらよかんべ

 

  おなじく

 

どうも不思議で
たまらない
叩かれると
西瓜め
ぽこぽこといふ

 

  おなじく

 

みんな
あつまれ
あつまれ
西瓜をまんなかにして
そのまはりに

 

さあ、合掌しろ

 

  おなじく

 

みんな
あつまれ
あつまれ
そしてぐるりと
輪を描《か》け
いま
眞二つになる西瓜だ

 

  飴賣爺

 

あめうり爺さん
ちんから
ちんから
草鞋脚絆で
何といふせはしさうな

 

  おなじく

 

朝はやくから
ちんから
ちんから
あめうり爺さん
まさか飴を賣るのに
生まれてきたのでもあるまいが
なぜか、さうばかり
おもはれてならない

 

  おなじく

 

あめうり爺さん
あんたはわたしが
七つ八つのそのころも
やつぱり
さうしたとしよりで
鉦《かね》を叩いて
飴を賣つてた

 

  おなじく

 

じいつと鉦を聽きながら
あめうり爺さんの
脊中にとまつて
ああ、一塊《ひとかたまり》の蠅は
どこまでついてゆくんだらう

 

  二たび病牀にて

 

わたしが病んで
ねてゐると
木の葉がひらり
一まい舞ひこんできた
しばらくみなかつた
森の
椎の葉だつた

 

  おなじく

 

わたしが病んで
ねてゐると
蜻蛉《とんぼ》がきてはのぞいてみた
のぞいてみた
朝に夕に
ときどきは晝日中も
きてはのぞいてみていつた

 

  おなじく

 

蠅もたくさん
いつものやうにゐるにはゐたが
かうしてやんでねてゐると
一ぴき
一ぴき
馴染のふかい友達である

 

  椎の葉

 

自分は森に
この一枚の木の葉を
ひろひにきたのではなかつた
おう、椎の葉である

 

  ある時

 

どこだらう
蟇《ひき》ででもあるかな
そら、ぐうぐう
ぐうぐう
ぐうぐう
ほんとにどこだらう
いくら春さきだつて
こんなまつくらな晩ではないか
遠く近く
なあ、なあ、土の聲だのに

 

  ほそぼそと

 

ほそぼそと
松の梢にかかるもの
煮炊《にたき》のけむりよ
あさゆふの
かすみである

 

  こんな老木になつても

 

こんな老木になつても
春だけはわすれないんだ
御覽よ
まあ、紅梅だよ

 

  梅

 

ほのかな
深い宵闇である
どこかに
どこかに
梅の木がある
どうだい
星がこぼれるやうだ
白梅だらうの
どこに
さいてゐるんだらう

 

  おなじく

 

おい、そつと
そつと
しづかに
梅の匂ひだ

 

  おなじく

 

大竹藪の眞晝は
ひつそりとしてゐる
この梅の
小枝を一つ
もらつてゆきますよ

 

  山逕にて

 

善い季節になつたので
※[#「くさかんむり/刺」、第3水準1-90-91]《ばら》などまでがもう
みち一ぱいに匍ひだしてゐた
けふ、山みちで
自分はそのばらに
からみつかれて
脛をしたたかひつかかれた

 

  ある時

 

まあ、まあ
どこまで深い靄だらう
そこにもここにも
木が人のやうにたつてゐる
あたまのてつぺんでは
艪の音がしてゐる
ぎいい、ぎいい
さうかとおもつてきいてゐると
雲雀《ひばり》が一つさへづつてゐる
これでいいのか
春だとはいへ
ああ、すこし幸福すぎて
寂しいやうな氣がする

 

  ある時

 

麥の畝々までが
もくもく
もくもく
匍ひだしさうにみえる
さあ
どうしよう

 

  ある時

 

うす濁つたけむりではあるが
一すぢほそぼそとあがつてゐる
たかくたかく
とほくの
とほくの
山かげから
青天《あをぞら》をめがけて
けむりにも心があるのか
けふは、まあ
なんといふ靜穩《おだやか》な日だらう

 

  櫻

 

さくらだといふ
春だといふ
一寸、お待ち
どこかに
泣いてる人もあらうに

 

  おなじく

 

馬鹿にならねば
ほんとに春にはあへないさうだ
笛よ、太鼓よ
さくらをよそに
だれだらう
月なんか見てゐる

 

  お爺さん

 

滿開の桃の小枝を
とろりとした目で眺めながら
うれしさうにもつてとほつた
あのお爺さん
にこにこするたんびに
花のはうでもうれしいのか
ひらひらとその花瓣《はなびら》をちらした
あのお爺さん
どこかでみたやうな

 

  ある時

 

あらしだ
あらしだ
花よ、みんな蝶々にでもなつて
舞ひたつてしまはないか

 

  ある時

 

自分はきいた
朝霧の中で
森のからすの
たがひのすがたがみつからないで
よびかはしてゐたのを

 

  ある時

 

朝靄の中で
ゆきあつたのは
しつとりぬれた野菜車さ
大きな脊なかの
めざめたばかりの
あかんぼさ
けふは、なんだか
いいことのありさうな氣がする

 

  ある時

 

松ばやしのうへは
とつても深い青空で
一ところ
大きな牡丹の花のやうなところがある
こどもらの聲がきこえる
あのなかに
うちのこどももゐるんだな

 

  朝

 

なんといふ麗かな朝だらうよ
娘達の一|塊《かたまり》がみちばたで
たちばなししてゐる
うれしさうにわらつてゐる
そこだけが
馬鹿に明るい
だれもかれもそこをとほるのが
まぶしさうにみえる

 

  藤の花

 

ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ

 

  ある時

 

ばらばらと
雨が三粒

 

……けふは何日だつけなあ

 

  ある時

 

木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら

 

  ある時

 

ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる

 

  野糞先生

 

かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる

 

だあれもゐない
どこかで
雲雀《ひばり》が鳴いてゐる

 

ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ

 

ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる

 

  手

 

しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた

 

ひらいてみたが
なんにも
なかつた

 

しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである

 

それをまた
ひらかせたのも
さびしさである

 

  ほうほう鳥

 

やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまね[#「くちまね」に傍点]でもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
   *
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
   *
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ

ほう ほう
ほう ほう
   *
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる

 

あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた

 

  まつぼつくり

 

山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お晝餉《ひる》だよう
鐵瓶の下さたきつけろ

 

  讀經

 

くさつぱらで
野良犬に
自分は法華經をよんできかせた
蜻蛉《とんぼ》もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた

 

  蚊柱

 

蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
讀經でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ莊嚴な

 

  ある時

 

また※[#「虫+車」、第3水準1-91-55]《ひぐらし》のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい國があるんだ

 

  ある時

 

松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある

 

  ある時

 

くもの巣
松の落葉が
いい氣持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
晝、日中

 

  ある時

 

たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ

 

  ある時

 

宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ

 

  ある時

 

うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな

 

  ある時

 

こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである

 

  ある時

 

まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ

 

  ある時

 

その聲でしみじみ
螽斯《こほろぎ》、螽斯《こほろぎ》
わたしは讀んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな※[#「田+比」、第3水準1-86-44]尼母經《びにもきやう》がよ

 

  ある時

 

まよなか
尿《せうべん》に立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの

 

  ふるさと

 

淙々として
天《あま》の川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう

 

  いつとしもなく

 

いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
眞實に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう

 

  ある時

 

沼の眞菰の
冬枯れである
むぐつちよ[#「むぐつちよ」に傍点]に
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな

 

  りんご

 

兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの氣持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる

 

  赤い林檎

 

林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる

 

  おなじく

 

ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか

 

  おなじく

 

おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと

 

  おなじく

 

林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい

 

  おなじく

 

娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と

 

  おなじく

 

くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ

 

  おなじく

 

こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味《いし》かつたと
いつてやりな

 

  おなじく

 

どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……

 

  おなじく

 

林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて

 

  おなじく

 

ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ

 

  おなじく

 

こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人《おとな》になつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ

 

  おなじく

 

りんごあげよう
轉がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ

 

  おなじく

 

さびしい林檎と
遊んでおやり

 

おう、おう、よい子

 

  おなじく

 

林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ

 

  店頭にて

 

おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に燒けた
聖フランシス樣のお顏が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ

 

  おなじく

 

錢で賣買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
賣つてやりたくなくはありませんか

 

  おなじく

 

いいお天氣ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは


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